| | | | | |
現在、妻と長男、妹、そして愛犬ハチとともに暮らしております(長女は結婚しました)。生涯スポーツの素晴らしさを説いた子ども達は、それぞれソフトボールと卓球を選択し、汗を流してくれました。
長く在宅介護をしておりました父は他界してしまいましたが、その時の経験から高齢者福祉や介護面で、より具体的な提案ができていると自負しています。例えば、高齢者の死因トップでもある肺炎のうち、誤嚥性肺炎は多くの割合を占めています。摂食嚥下障害のケースでは、食事のサポートが大変重要です。誤嚥性肺炎を防ぐために、より一層介護施設での認識徹底が必要だとの思いから、県議会でこの問題を提起しました。
県で条例化されれば、市での対応も大変素早くスムーズです。市だけを変えるより、県を動かすほうが、より実現性が高いと言えるでしょう。
私には、10年間という県議会議員生活で培った太いパイプがあります。「理想のままにせず、実現へと行動できる力」、これこそが私の強みです。
今まで積み重ねてきたその力を、今こそ惜しみなく活かして、八千代市をより良く変えていきます。
バレーボールは30歳頃まで頑張っていましたが、ジャンプ力に限界を覚えて以降は、もっぱら野球です。高津ツインズ時代は長年マネージャーとしてチームに貢献。現在は同チームの顧問を行う傍ら、高津ツインズシニアで現役選手として野球を楽しんでおります。
バレーボールも野球も、どちらもチームスポーツ。ラグビーの合言葉「one for all , all for one(チームワーク、そして一人一人が助け合うことが重要)」は、まさにその通りだと強く思っていますし、私がスポーツを通じて得た貴重な実感です。
ごあいさつ
「この経験が活かせるのは、自分しかいない」
職歴
・八千代市議会議長・副議長
・八千代市社会福祉協議会理事
・八千代市青年会議所理事
・第1回わんぱく相撲八千代場所実行委員長
・八千代市総合計画審議会会長
・八千代市消防団第4分団分団長
・動物愛護議連事務局長
現在
・八千代市長
・八千代市グラウンドゴルフ協会顧問
・八千代市卓球連盟顧問
・八千代市防災協会会長
・八千代市野球協会副会長
・八千代市マスターズ野球連盟顧問
・八千代台小学校学校協力員(スクールガード)
Copyright (C) 2014-2021 Tomonori Hattori. all rights reserved.
はっとり友則 後援会事務所 047-485-1400
〒276-0034
千葉県八千代市八千代台西2-4-18(地図)
FAX 047-485-1443
メール info@hattoritomonori.com
〒276-0034 千葉県八千代市八千代台西2-4-18 TEL.047-485-1400(服部友則 後援会事務所)
平成25年に訪れた、八千代市長選の機会。
「この経験を生かすことができるのは、自分しかいない!」という自信がありました。
市長という立場で、自分にはまだまだやれることがある。
そう信じて市長選に臨みました。
この道一筋に生きてきた自分の胸中に自らを問うとき
ふるさと八千代を愛し、八千代のためにという思いは、微動だにしておりません。
いや、
今の八千代市の現状を目の当たりにするたび
むしろその意気込みは炎となって燃え盛っております。
私は常々、政治家の使命を全うするために不可欠なものとして
(1)スピーディな時代の変化に対応できる政治感覚
(2)倫理観や正義感といった普遍的な政治理念の上で、過去と現在を正確に把握し、未来を確実に展望する
という2点を、行動する際の指標としてきました。
そうして貫いてきた私の道。
向かう先は、ふるさと八千代に対する情熱を胸に
八千代市政へ全身全霊を捧げ続けることよりほかありません。
これが私、はっとり友則の覚悟です。
昭和57年、私が生まれ育った八千代台を「もっと良いまちにしたい」という一心で、
勤めていた会社を退職いたしました。
“地盤”も“看板”も“かばん”もない25歳で八千代市議会議員に初挑戦し、当選させていただくこと6期。
市議会議員として20年間を、市のために奔走し続けてきました。
平成15年には、「八千代市をさらに素晴らしいまちにしたい!」という思いから、千葉県議選に挑戦。
現職最多の発言回数を保持しながら、当選し続けること3期10年間
自民党青年局に所属する議員として千葉県中を回りました。
外から八千代市を見ることで、改めて
八千代市の可能性と、取り組むべき課題を知ったのです。
昭和32年5月31日、千葉県八千代市八千代台に生まれる。地元の小中学校を経て、県立船橋高校へ進学。バレーボール部に所属し、部活動を3年間やり抜く。国立山梨大学教育学部社会学科を卒業後、一度は民間企業に就職するも、選挙戦出馬を期に退社。
昭和57年、八千代市議会議員初当選。以降、連続6期当選を果たす。平成15年、千葉県議会議員に初当選し、3期10年を務める。
平成25年5月に、八千代市長選へ挑戦するも敗退。しかしその後も、市政への取り組みを続け、今後の八千代市の在り方について独自に検討を重ねる。
平成29年5月の八千代市長選に再度挑み初当選し、現在に至る。
右利きを左利きに変えるほど王選手ファン。
当時は、第一公園の野球場で、フェンスどころか公園を超える場外ホームランを何発もかっ飛ばしていました。
今思えば、年齢問わず大人も子どもも楽しめるスポーツに夢中になれたことは一生の財産でした。
野球をはじめ、テニスや卓球、ソフトボールなどの生涯スポーツの普及を推進するうえでも、この時の経験が、大変役立っています。
元々は法科志望でしたが、甲府在住の野村文男教授の薫陶を受け、地方自治に興味を持ちました。
現在では市道にフタ付U字溝は当たり前ですが、当時の八千代台では皆無に等しく、蓋の無い「かまぼこ道路」を誰もが行き来していたのです。子ども達やご年配の方々にとって危険な道路であり、何としても改修をしなければ!という危機感を抱いたのでした。そして、身近な生活環境を整備しつつ、次代を担う子ども達の教育に関与していきたい!そんな思いから、市議会議員を目指しました。
身近な問題解決をと一歩踏み出した政治人生も、今や大きな政治課題の解決を目指し活動する身となりました。
東葉高速鉄道と東京メトロの経営統合、そして運賃値下げと八千代市の負担軽減。
私が必ずやり遂げます!